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:石井ゆかりさんの【2025年上半期の星占い】
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              2025年が始まりました。今年の上半期、星はどんな動きを見せてくれるのでしょうか。今回も石井ゆかりさんから星読みのメッセージをいただきました。時流に合わせてどんな日々を過ごしていくのか。改めて考えるきっかけに、ぜひご覧ください。
こんにちは、石井ゆかりです。
2025年上半期は、かなり特徴的な星の動きが見られ、「いつも通りの穏やかな時間」を過ごすのは、なかなか難しいかもしれません。
新しいことが起こり、新しい状況を認識し受け止める心の力が求められる時期ではないかと思います。
「犠牲を払った側」が、闘いはじめる
情熱と闘いの星・火星が今、地球に接近中で、赤い輝きを強めています。
多くの人が自分や自分の大切なものを守るために、勇気を出して闘おうとする、というイメージが浮かびます。
さらに、土星と海王星という2つの大立者が、魚座から牡羊座へと移動します。
この動きはいろいろな読み方ができますが、ひとつ「これまで犠牲を強いられた人々が、新たに闘いはじめる」という解釈ができそうに思われます。
魚座は「犠牲」を象徴する星座、牡羊座は闘いの星座だからです。
この2つの星の動きは、これまで闘う手段を奪われていた人々が、闘う手段を手に入れる、といったことを象徴しているようにも思われます。
世界の様々な場所で、様々な立場の人々がここ数年、大きな犠牲を払うことを強制されています。
また、個人の生活の中でも、「声を上げたいが、声を上げた側が非難されたり、さらなる被害を被ったりする可能性がある」状況で、黙らされるケースが多々、あります。
理不尽にガマンさせられている人、大事なものを守るために敢えて闘わずにきた人、強い権力の前で抵抗を封じられてきた人。
そうした人たちが、自分ひとりでも抵抗してみよう、と考えはじめるのが、この時期なのかもしれません。
意見は違っても、関わりは続く
土星と海王星が入ってゆく牡羊座も、火星が長居する蟹座と獅子座も、「集団」か「個人」かでいえば、「個人」の世界です。
組織や集団の力を使おうとするのではなく、あくまで自分自身の思いによって立ち上がろうとする力が、ここに見て取れます。
だれかのあとについていこうとか、みんなが動いたら自分も動こうとか、そうした「集団」のリクツが、この時期は濃くありません。
「みんな」がみんなバラバラの方向を向いているので、「みんな」の渦に融け込もうとしても、うまくゆかないだろうという気がします。
「みんながバラバラの方向を向いている」状況は、双子座の木星という配置からも読み取れます。
双子座は集団のルールや常識、多くの人が受け入れている論理に、疑問を呈する星座なのです。
たとえば双子座的な振るまいとして、「ルールのハック」があります。
「ライフハック」という言葉が少し前に流行りましたが、これも双子座的です。
みんなが当たり前に「守っている」ルールを、角度を変えて「利用」するのです。
「みんなと同じやり方をしていれば大丈夫」という発想は、双子座にはありません。
むしろ「みんなと同じ」ことを目指すことの危険性を、双子座は熟知しているのです。
この時期、「無難な意見」を探そうとしても、多分みつからないかもしれません。
どんな意見でも誰かとぶつかるので、「無難」が成立しないのです。
ゆえに、自分にとっての正しさを探し出すスタンスが必要です。
それは、「みんなと同じ」には、ならないはずです。
友達と意見が違ったとき、家族と意見が違ったとき、どうすればいいのか。
多くの人がそのことを考えるはずです。
愛ある関係を保ちながら意見の違いを尊重する方法を、なんとか模索することになるだろうと思います。
「知性」「正しさ」のイメージが変化しはじめる
2024年後半に引き続き、6月上旬まで「コミュニケーションの時間」が続いています。
ただ「話せばわかる」が通じないのも、この時期の面白さです。
2024年の後半、日本では総理大臣が変わり、アメリカ大統領選もありましたが、マスコミや多くのジャーナリストの「予想」は大きく外れました。
結果の意外性に、みんなが驚かされたのです。
話題が沸騰し、多くの人々が自分の考えや意見を語るなかで、「予測可能な未来」という幻想が失われたのは、とても興味深い事態でした。
一方、AIの技術が広く浸透しはじめ、多くの人たちが人工知能と「コミュニケーション」し始めているのも、水瓶座冥王星・双子座木星的な状況に見えます。
私たちが「これが知性である」「これが賢さである」と考える、「知」のイメージ自体が、根本的に変化しはじめているのではないか、という気がします。
AIは今、ひたむきに人間の言動や挙動、人間社会のことを「学んで」いるのかもしれませんが、その一方で人間の方が、AIに馴らされ、徐々に「教育され」つつある、といえるようにも思います。
たとえば、今はまだ、AIのナレーションを不自然だと感じる私たちですが、少し経てばAIの言動こそが「正し」く、人間の語りは間違ったり、噛んだりするあやふやなものだ、という認識が広まっていくのかもしれません。
もとい、AIが人間に対して非・意識的にほどこしてくる「教育」は、私たちの意識の薄いフェンスを越えて、既に浸透しつつあるのかもしれません。
「AIのほうが賢い」とされる状況を、積極的に受け入れていこう、という人々もいます。
一方、この流れに抗って、あえて自分自身で考えることを続けようとする人たちもいます。
ほんの30年前には、人間はたくさんの電話番号を暗記し、多くの難しい漢字を自在に書くことができました。カーナビなしでも目的地に辿り着けました。
今はそうではありません。
「暗記」だけでなく、考えること、学ぶこと、判断することなど、過去には人間のものだった「知的行為」がさらに取り上げられていくなか、私たちに何が起こってゆくのか。私たちに残される可能性は何なのか。
そんな問題意識を持つ人も、この時期、少なくないかもしれません。
こちらもチェック!
illustration:Yuka Hiiragi text : Yukari Ishii
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